伊陸地区には数多くの史跡があり、そのどれもが

今も住民の方々に大切に守られています。

藤の木地区(旧岩国領米蔵跡・旧伊陸小学校跡・旧伊陸村役場跡及び光持寺跡・小南寺跡・観音堂・墓地)

伊陸盆地のほぼ中心部に位置する藤の木地区にある

岩国領米蔵・旧伊陸小・旧伊陸村役場跡地・小南寺跡・

光持寺跡・観音堂。

県道柳井玖珂線(70号線)から少し西に入ったところに、

下の写真の大きな看板が立っています。

この場所は、江戸時代には岩国藩(吉川氏)の米蔵が置かれ、

伊陸米で岩国城下の生活をまかなっていました。

この看板から南西約300m先の丘陵地には、平安時代に

王坊(朝廷の寺)として建てられた光持寺・小南寺がありました。

立て看板のすぐ後ろには広い観音堂があり、中には観音像が

置かれてあります。

目印の立て看板
小高い丘にあります

【アクセス】

                                                                     【詳細図】

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 8828122efbaf302690c31ebd17390810-1.jpg です

 

長野地区(義民 宮吉供養墓)

伊陸の東部に位置する長野地区にある

義民 宮吉供養墓

江戸時代(享保2年)に岩国藩の財政がひっぱくした結果、

年貢米を増やされた藩内各村の農民の間で一揆が起こり

本藩であった萩藩に直訴した農民が各村から詮議を受け、

伊陸村からは長野の宮吉が斬首の刑に処せられました。

時代の犠牲になった義民 宮吉の霊を弔い、長野の村人が

小高い丘の奥にひそかに宮吉の墓を建て、おとがめを

受けないように覆い隠して守って来ました。それが下の写真です。

【アクセス】


 【詳細図】